| おしえて№587 投稿者 連さん | ||||||
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いました。ただ、漫画やアニメに出てくるような派手なものではなく、今風に言うとスパイとか各種工作員とか言うような性格のものでした。 良く知られたものでは「草」と言われる忍は敵国に潜入した後その土地に馴染んで暮らし、その土地の娘を娶りながらもいつか来る(来ないかも知れない)指令を待っていました。そしてひとたび命が下ると普段馴染んで仲良くしていた人々を裏切り、命に従って味方(土地の人にとっては敵)を導くのが役目でした。 情報工作員の性格も強く、鈴虫売りやそのほか各種の行商人の多くは忍であり、行商人という名目で各地を旅する権利を手に入れて様々な情報を集めて歩いていたとも言われます。 またくのいちと言われる女忍者の役目は体で敵を籠絡し、情報を引き出したり相手を言うがままに操ったり味方の手引きをするというものでした。 敵の本拠地に忍び込んで機密書類や証拠品を盗み出したりその構造を解析したりする役目もありました。(時には先に潜入させたくのいちの手引きを受けることもありました) 一連のこれらは特に江戸時代に多かったものです。 幕府の忍をおそれ嫌がった薩摩が人工的に方言を作り出し、この方言を真似ることが難しかったことから「草」を潜入させてもすぐにばれてしまい、情報収集がなかなか成功せず、それが功を奏して島津は幕府に知られずに莫大な資金を蓄えることが出来、それが明治維新に繋がったというのは有名な話です。 ただ、戦国時代の頃は大名同士の正式な戦だけに止まらず野武士や地侍なども激しく勢力争いを繰り広げていましたから、闘いに長けたものはむしろ破壊工作員や刺客のような任務を請け負うこともあり、そのような忍は時として反対勢力が雇った忍やターゲットの護衛と戦闘になることままあって、そのために様々な技と道具を開発して今に残しています。その忍が使う技術の総称を忍術と言いますが、漫画やアニメのような魔法じみたものではなく、意外なほどに地味で実用的なものが主体的です。 多少姑息な手段を使うこともままあり、正面から戦うことはあまりありませんでした。この頃は忍者集団自体がそれなりの勢力を持っていたことから必ずしも主を持っているとは限らず、独立組織として大名や野武士などから金で任務を請け負うということも多々ありました。 この時代の忍者はプロの工作員・傭兵集団であったのです。 ウィザードリィに代表されるRPGの忍者は戦国時代の傭兵的な忍者のスキルと江戸時代の工作員的なスキルの美味しいところを併せ持たせたものです。 もちろん、実在しました。忍者の仕事は情報収集、撹乱等ですが、古くは聖徳太子の時代に既にそのような者がいたとも伝わっています。忍者が最も活躍したのは動乱の戦国時代です。 そのころは透波(すっぱ)、乱波(らっぱ)などとも呼ばれ、各地に諸流派が存在し、戦国大名の力となっていました。有名なのは伊賀流、甲賀流、風魔流等です。伊賀忍軍は上忍、中忍、下忍という身分制があり、3大上忍として服部半蔵、百地丹波、藤林長門守がいましたが、実際に活動するのは下っ端の下忍達です。 伊賀忍軍は織田信長に攻められたりしましたが(天正伊賀の乱)、その後本能寺の変の際、徳川家康の伊賀越えを助けるなど、重要な働きをし、家康による天下統一の後にはお庭番として影の働きをしました。逆に、北条家に仕えた風魔忍軍は主家が滅んだ後盗賊となり、江戸で暴れまわりましたが、ついに捕まって処刑されました。 また、「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」の名台詞?を残した大泥棒石川五右衛門は百地丹波の配下であったとも言われています。 江戸時代の忍者は、幕府配下は公儀隠密とよばれ、各大名の動向を探っていました。無論、大名家も秘密が露見して取り潰されてはかなわないので、対抗して独自に影働きの者を組織していました。時代劇などでは、隠密がよく虚無僧や薬売りに変装しますが、これらは各地を渡り歩くのに便利だからです。国越えをするには関所を通らねばなりませんが、商人ならば国を越える事も怪しまれません。 また、虚無僧は諸国を歩く事を将軍家から許可されていましたので、これも都合が良かったのです。 もちろん、漫画や時代劇のなかでは隋分脚色してありますが、個人的にはカムイ伝や伊賀の影丸は大好きです。 ええ?そりゃいたでしょ<忍者。 ドロンと消えたり変身したりはしないでしょうけどね。拷問術、格闘技、妖しい薬を使って幻覚見せるなどの技術には優れていたはず。忍者ハットリくんで有名な伊賀忍者は体術(格闘技や運動能力)が、甲賀忍者は薬(幻覚剤や火薬など)の知識がそれぞれ得意だったと聞いたことがあります。 ちなみに「忍者」と言う言葉はあまり古い言葉ではないらしいですが、詳細は忘れました。 忍者の定義は曖昧ですが、広い意味での忍者は何時の時代にも存在したようです。忍者の兵法の源流は、古代中国の春秋・戦国時代(約2500年前)の将軍・孫武が記したとされ兵法書の中で最も著名な『孫子』第十三「用間篇」に求められ、また日本への仏教伝来と前後して陰陽道関係の暦本、天文地理書が輸入されるのと一緒に、『日本書紀』によれば602(推古10)年に百済僧・観勒によって忍法書の古典とされる『遁甲方術書』がもたらされ、聖徳太子(?〜622)は「志能便(しのび)」を使って飛鳥の動向を探ったとも伝えられ「志能便」は「便」すなわち情報の入手に能(よ)く志す者の意味とされ、真偽は別としても、これが我が国の文献で最初に登場した「しのび=忍者」といわれています。 『孫子・用間篇』『遁甲方術書』等の兵法は日本で独特の発達をし、平安時代の天台・真言密教の秘法や山岳信仰の修験道の修行とも結びつき、オール・ラウンドにミックスされて間(かん)を用いる術としての忍術が生まれ、−特に修験道の開祖とされる奈良時代の役行者(えんのぎょうじゃ)生没不詳を忍術の源流とみる説話が多いようです。 特別の修行をして忍術を習得した者を忍者というようですが、地域によって流派は、伊賀流、甲賀流など日本全土に49流派あるとされ、またその呼称も「忍(しのび)」「屈(かまり)」「すっぱ(透破、素破、水破)」「草」「乱波(らつば)」「間諜」「隠密」等の他「風魔(北条氏康)」「軒猿(上杉謙信)」「木陰(豊臣秀吉)」等と呼ばれ、各々の主家と結びついて配下に属した忍者の役目は主に間(敵中に潜入して破壊活動)と諜(敵の情報の探索)に分けられ、劇画・TV等では派手なアクションの間の方が目立つのは已むを得ませんが、現実には諜の方が重要な任務だったようで、当時は虚無僧、山伏、行商人、旅芸人等を装って各地の情報収集等に務めたようです。 参考URL:平法塾 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hyouhou/index012.html 伊賀・甲賀忍者の歴史は下記URLに略記されています。 参考URL:甲賀流忍術屋敷 http://www.y-tec.com/ninja/iga.html http://www.y-tec.com/ninja/koka.html http://www.y-tec.com/ninja/ryuha.html 最も忍者を活用した武将の一人とされる徳川家康は、戦国期から伊賀者・甲賀者を使い、彼らも活躍した事もあって、両者は忍者の代名詞のようになりましたが、徳川政権成立後は江戸城警護等の役職を与えられたものの、天下泰平の世の中となり忍者としての実戦の場が少なくなった結果、秘伝の忍法を後世に残すため多くの忍法書が江戸前期に書き残されたようです。 後は幕府・諸藩が各方面の情報収集に当たらせた隠密或いは徳川吉宗が八代将軍襲職時に定めた御庭番の隠密御用などが辛うじて忍者的な要素を残すのみとなったようです。但し、諜報活動と言う意味では、現代版の忍者も存在する筈ですが・・・ 参考図書:平凡社『世界大百科事典』 忍者を初めて使ったとされるのは蘇我馬子と聖徳太子だそうです。馬子は東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を使って崇峻天皇はじめ蘇我氏に対抗する豪族達を次々に暗殺してその勢力基盤を拡大し、聖徳太子は秦の河勝(香具師の祖)・服部氏族(伊賀忍者の祖)・大伴細人(甲賀忍者の祖)らを使って各地の情報を収集したと伝えられる。忍術の歴史は仏教とともに六世紀に伝来した兵書「孫子」に始まり、この世界最古かつ最高といわれる兵書に「兵は危道なり、濫りに用う勿れ、智略は正道で王者の道である」という教えがあり、これがもとで我が国のいわゆる忍術が発生したとされています。 戦国浪漫「甲賀忍者と伊賀忍者」より抜粋 http://www.m-network.com/sengoku/ninja/ninja01.html 忍者で検索をかけると、中国のHPがたくさん出てきます。中国にも忍者はいるらしい。 忍ぶれど、ついには歴史にあらわれき。ということで、当然いました。有名なところでは百道三太夫とか猿飛佐助とか、忍者の中でも優秀な方々です。アメリカ映画がつくった、芸者ガールとか「ニンジャ」ではありません。実在です。もともとは、素っ破とかと言われたとか、隠密とか、いろいろですが、これらについては、数多くある映画、小説、マンガ、歴史書をお楽しみ下さい。 忍者は本当にいました。甲賀忍者と伊賀忍者があったようです。 参考URL:Summer Breeze http://www.mnet.ne.jp/~asahi969/index11-14.html 参考URL:伊賀流忍者 http://www.mpd.co.jp/net/ninja/japanese/menu.html 忍者といえば、派手な忍術を使っての戦闘というイメージがありますが、実際は地味な情報収集、民衆の扇動などが主な仕事だったのではないでしょうか(スパイと一緒ですね)忍術については、残像を残せるほど速く走れた忍者はいないと思いますし(分身の術)、刀で刺されても死なない忍者もいないとは思います。ただ、当時の最新技術をつかってそれらしくみせることは可能だったのではないでしょうか。 ちなみに、忍者として有名な猿飛佐助は実在の人物ではないようです。 いました。ただしテレビでやっているようになんメートルもジャンプするとかは出来ませんでしょうけど服部半蔵というのも実在の人物です。 こんなサイトを見つけてみましたのでご覧になってみてください忍者博覧会というところです。 http://www.ninpaku.ne.jp/history.files/nara.htm いました、いました。 伊賀のカバ丸が・・・(あぁ〜なつかしい) あなたがいると信じつづけていれば、必ずいます。 そういうものです、たぶん。 あ〜、忍者ね。もちろんいましたとも、ハイ。 いたのじゃっ。 だって、私の前世は忍者だった気がするんだもん。(o^^o)ふふっ♪ まだ忍者村に行けばいますよ。
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| 正答者の方々です。本当にありがとうございました。 | |
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